040.バイクパワーと心のダム 2009.07.03

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 私が学生のころ、初めてバイクを購入したとき、とにかくうれしくて走り回ったことを今も覚えている。
それも、仕事が終わって夜の10時に帰宅してから、走り回る。もう、底なしのパワーである。
意味も無く峠を何度もグルグル走り回った。
当時大阪に住んでいた。土曜に城崎温泉へ日帰り。日曜に和歌山の竜神温泉へ日帰り。 お金が無いから全部下道である
途中で疲れて、道端でぶっ倒れて寝ていたりしていた。それが心地よかった

さすがに今は、そこまでのバイクパワーは無い。しかし、最近、アドレスV125の新車を購入したとき、久しぶりにパワーがみなぎるのを感じた。
意味も無く最高速で走ったり、峠を攻めたり、怪しい道へ入り込んだり。
この、バイクパワーってのは一体なんだ!
バイクに限らず、人をこんなに強く動かさせる、その原理って何なんだろう。

イメージモデルを考えてみた


まず、心の中に泉がある。
そこから、水=パワーがどんどん吹き出てくる。

ただし、その湧き出るだけなら、ちょろちょろと流れる小川になって流れるだけで、大きなパワーとならない。
ちょっとあのバイク、かっこいいなー。あんなのあるんだ。
止まっているバイクに近づいて眺めるだけ、その程度の弱弱しいパワーだ。

そこで、ダムができてくる。
バイクに乗りたいが、お金が無い。会社が忙しくて乗れない。等など・・・
心に欲望が積み重ねられ、だんだんとダムが大きくなる。そこに、水が溜まってくる。
ダムにすこしづつが数年かけて溜まる場合もあるし、友達に自慢されて悔しい思いをして一夜で爆発するように溜まる場合もある

水圧でダムが壊れそうになってくる。
そこで、ふとしたきっかけで、ダムがぶっ壊れる
「エイヤー バイクを買ってしまえ」
ダムがぶっ壊れて流れ出したパワーはすごい。命が果てるまで、がんばる。
バイクで走り回ったり、夜遅くまでバイクを分解して、カスタマイズしたり。疑問になったことを何時間もかけて調べまわったり
とても楽しいひと時だ。

しかし、ダムの水はいつか流れ去ってしまう。
洪水の川が消え、フツウのチョロチョロとした小川になる。
あんなに磨いていたバイクも、シートをかぶせられたまま、置物になっている。
そんなバイクを眺めるとき、とても寂しい気分になる。
あのときの情熱ってどこにいったんだろうと。
今ではもう戻ってこない


ただ、それは、そんなに悲しむことではないんじゃないかと、最近思っている

溜まって、流れる・・・そして、また、溜まって流れる
それの繰り返しなんじゃないかと。
逆に、一度全部流してしまわなければ、次のダムが作れない。
だから、バイクパワーがなくなること自体は、悪いことではない。自然の流れなんだと。



一つ悩んでいるのが、複数台所有
完璧なバイクなんて存在しない。状況に合わせて一番楽しいバイクに乗るのは、賢い方法だ
ただし、心の中にダムを二つ作るようなもので、確実にパワーは分散する。
悪いというわけじゃない。バランスのいい楽しみ方で、一つの正解と思う。

ただ、自分の中ではそれじゃ不完全燃焼な感じ。
やはり、巨大なダムをつくりあげて、大洪水でぶっ壊すのが楽しいかなと
そう思うのである

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