039.プリン事件 人間の欲望 2009.07.01

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私がランドセルを背負っているような子供のとき、森永か明治の2つつながったプリンが売られていた。
これがとてもおいしく、とても好きだった。
親が本当に忘れたことにプリンを買ってくる。二つなので、兄弟で一つづつ半分こする。
何でも平等にするというのが親の教育方針だったので、特に食い物は、厳格に食べる量は守られていた。
当然、二つなので一つしか食べられない。もっと食べたい、チクショーと強く願っていた。

そんなに食べたければ、お小遣いで購入すればいい。ただし、その当時の一日のお小遣いは5円か10円ぐらいで、プリンを買おうとすれば一週間必要なのだ。
食べてみたいのは、5個とか10個なので、とてもじゃないがプリンを沢山食べるのは、難しい状況だった。

中学生ぐらいに大きくなったとき、お年玉か何か、まとまったお金が使える機会があった。
そうだ・・・コレぐらい金が有れば、過去の怨念のプリンを死ぬほど食べられる。
っということで、スーパーでプリンを10個ほど購入。家に帰って早速食べ始めた
4つぐらいまでは、あっという間に飲み込んだ。チマチマ削るように食べるのではなく、飲み込むように食べたかったのだ。
心が満たされた。
もっと満たされると思って、食べ続けた。
子供の底なしの食欲だったが、ある時点で気分が悪くなってきた。
それでも、恨み?があったのか、限界まで食べた。
もう、食べたくなくなるまで食べた。

しばらくしたら、また、プリンを大量に食べたくなったか?
というと、それ以降は、あんまり食べたくなくなった。取り付いていた怨念が消えたかのように、プリンへの欲望は消えてしまった


最近、心の中で疑問になっているのが、人間の欲望の消え方である。
先ほどのプリンに例えると、おなかが空いてきたら、また、大量にプリンが食べたくなるか、というと、そうでもない。
永久に愛していると思っていたのに、願っていたことを達成したら、あっさり愛が消えた。
愛というと奇麗事に聞こえる。怨念を晴らしたら、怨念が消えてしまったといったほうが的確かもしれない。
脳に焼きついて影が残るほど強く念じたことが、あるときを境に消えてしまうのである。

自分のイメージでは、強い思いが少しぐらい残るのかな考えていた。でも、あっさり消える。
その消え方に怖さを感じる。もう、情熱は戻ってこない。
プリン事件のように、腹いっぱい食べたことが無い時の、あのドロドロとした強烈な怨念はもう沸いてこないのだ。

バイクが好きでバイクについてよく考える。
高い買い物だし、せっかくなら、ずーっと楽しめるものが欲しい。
しかし、バイクもプリン事件と同じように思える。
なにか強い怨念を晴らしたとき、そこで一つバイクの寿命が終了なのだろう。
今の私なら、小さいバイクでイロイロツーリングしてみたいというようなものだ。達成してしまえば、怨念が消えた。
あんなに気に入っていた情熱は・・・
次なる喜びを感じ続けたければ、次々と進み続けるしかない。永遠なんてない。
それをプリン事件で思い出して、バイクで実感して、改めて悲しさを感じる。
いばらの道になると思うが、進み続けるしかないだろう。

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