037.おもしろさを得るには捨てないとダメなのか 2009.06.27

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最近、ダメダメな感じである
人は低いほうへ流れるというが、まさしくそれで、今現在、かなり下流に流されいる

日々、トレーニングしたり、勉強していたりしていたが、やめてしまった
酒飲んで、お菓子食って、ネットサーフィンしてフラフラして夜更かししている。
ある意味、とっても幸せな状態なのである。
ただし、コレを繰り返していたら、今以上の大きな喜びは得られないだろう。
体が弱ってきているのも感じるし、仕事もやる気が出ない。

バイクの話でも同じだ
日々の生活だけではなく、バイクのほうも、今、あまり面白くない
アドレスで町をフラフラ走っていると、ラクチンで楽しい。
ただし、それだけって感じなのである。
安定した日々にh、何か燃えてくるものは無い。


人間は、とっても贅沢なのである。
あれも欲しいし、これも欲しい。
日々の安心をキープしつつ、びっくりするような巨大な喜びを得たいと思っている。

この、巨大な喜びってのが曲者だ。
とても難しくて、フツウじゃ簡単に実行できないことでないとダメなのである。
フツウにできたら、それは「びっくりするような巨大な喜び」ではなく、「ただ、なんとなく面白いこと」になる。
バイクに例えると、月7万円のバイトを数年続けて、苦労して免許を取って、100万のバイクを購入したとする。それは、もうメチャうれしいだろう。意味も無く、夜走り回るに違いない。
でも、月収100万ぐらいの人が100万のバイクを購入しても、あんまりなんとも思わない。あまった金でモノを一つ買っただけで、あんまりたいした出来事じゃない。

判りやすい例として、金額を書いたが、金がすべてじゃない
本気で凄い喜びってのは、自分にとって本気でヤバイ状況だと感じないと得られない快楽なのだ。
全身全霊をかけないと実行できないことをやると、全身全霊で喜びを感じられる。命をかけると、命レベルの喜びになる。
適当に実施できることは、適当な喜びで終わる。

選択肢が二つある

一つは、ただ日々チョイチョイと適当に快適に暮らす
大きな喜びは無いが、大きな苦しみも無いだろう。

もう一つは、全身全霊で打ち込めるものに集中する。
めっちゃしんどいけど、得られる喜びは大きいだろう。

ホームページのオモシロさも、おなじようなものかもしれない。
適当に流してやっているようなページだと、そんなに強いオモシロさはないだろう。
「オッサン、こんなのに人生かけるのなんてアホや!」レベルで、ガンガンやっているホームページは、何か伝わってくる。
やっぱり、その領域まで飛び込まないとダメなんだ

オモシロさという意味では、すべてを捨ててバカやっているほうが面白い
ただし、生き残るという意味では、安定が正解。フツウに家庭を持って天命を全うするのが正解だ

どっちかしか選べない、得るにはどっちかを捨てないとダメなのだ。
その、捨てるという行動が難しい
行動的には簡単だ。しかし、強欲な心が邪魔して、できない。

人生で成功する方法ってのは存在する。とっても難しそうに思えそうだが、物理的には、誰にでもできる簡単にできることが多い。
金持ちになる方法とか、いい人間になる方法とか、頭が良くなるとか、意外とコツは簡単なんだよね。図書館で無料で読める。
ただ、心に拒否反応が出てきて、それは実行できない。
戦争とか無くならないし。 
でも、そこがまた人間なんだろうな・・
だから、人生面白いのかも。

話がそれてきた
結論としては
面白いことを得たかったら、持っているものを捨てたらいい
わかっちゃいるけど、できねぇ
まいった!

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